私は台湾出身で文化情緒のある町が好きです。そんな町に憧れて、2010年に東京に移住してから今に至るまでずっと浅草近辺に住んでおります。来日した理由は割と波瀾万丈かもしれません。親は実業家で家柄的に厳しかったです。15歳になると反抗期ということもあり、家出してホームレスになった時期もありました。当時、11月の冬の時期に児童園のトンネルや公園のベンチで寝たりしていました。未だにその時の寒さをまだ覚えています(笑)。所持金は日本円で約3千円しかありませんでしたが、なんとか2週間生き延びました。しかし、命の危機を感じたので、結局家に戻り、親に許しを求めました。あの時初めて社会の残酷さや自分の意思で人生を歩みたいのであれば、何が必要かを知りました。私はよくいる外国人と一緒で、アニメとゲームが好きで、日本はずっと行きたい国でした。痛い目に遭ったが、行きたい気持ちがますます強くなり、親にこんな交渉をしました。「僕という株を買ってください。大人になったら数十倍のリターンを返します!決意を証明するために、在日1年以内に日本検定JLPT1級(英検みたいなもの)と偏差値60以上の高校に受かります。達成できなかったら、今後言う通りにします。」この条件でやっと合意することができ、日本へ行くことになりました。
この後の期間は人生の中で一番つらかった時期かもしれません。勝率を少しでも上げたかったので、日本に来る前の3ヶ月間は、毎日180語の単語の暗記を目指し、単語帳が手の油で⻩色くなるまで暗記を繰り返していました。
来日後、自分で言語学校を探したり、高校受験の申し込みをしたりして、学習計画まで全て自力で組みました。負け犬みたいに帰りたくない想いと女子高生と付き合いたいという邪念が僕の精神を支え、なんとか毎日15時間の勉強を続けられ、無事に目標を達成し順天高等学校に入学しました。余談ですが、その時にいくら頑張ったとしても死なないことに気がつきました。それがサラリーマン時代と起業初期の行動に大きな影響を与えたと考えております。
学生時代に日中英 3 か国語を習得しましたが、学歴と言語力だけで生き残るのは難しいと思っていました。言語の強みを生かしつつ、もう一つの武器を作る必要があったので、大学2年生の時に株式会社ワンスターという広告代理店で越境EC事業に携わりました。卒業までの2年間で数多くの失敗を経験しましたが、酵素ダイエットをセールスポイントにした商品が成功し、デジタルマーケティングの実践力が鍛えられました。大学卒業後はグローバル×デジタルの強みを生かし、総合広告代理店「株式会社アサツー ディ・ケイ(現・株式会社ADKホールディングス)」に入社しました。6年間にわたり、地方自治体、官公庁のインバウンド事業や、NEC、DENSO、バンダイなどのアウトバウンド事業に従事し、海外デジタルに関するスキルをさらに極めていきました。
インバウンド事業を担当した際にオリパラ事業など数多くの案件を扱い、海外観光客数の増加などに尽力しましたが、「和」を代表する伝統工芸品の衰退はどうしても阻止できないと痛感しました。国からの予算は億単位と莫大ですが、どちらかというと経済規模重視で、日本の魅力を広く浅くアピールし、平等に扱う必要があり、どうしようもない限界を感じました。
ちょうどこの頃にコロナの影響で観光業が致命的なダメージを受け、インバウンド関連案件のほとんどが中止となりました。2020年8月、時間的な余裕が出来た私は、近所の合羽橋道具街を散策した際、初めて和包丁専門店に入りました。和包丁の豊富な種類とその質に感動した反面、値段が高い割に「粗雑な印象の箱パッケージ」「難解な素材と用途の説明」という印象を抱き、初めて和包丁を買う一般消費者にとって、購入に至るまでのハードルがとても高いと感じました。
そして、衰退がさらに加速化した伝統工芸業界のすべてを救うことは難しいが、和包丁なら自分にも出来ることがあると考え始めました。これを考えていたとき、私は毎日ハイな状態になり、これからの生きがいはこれじゃないかと思い始めました。
入念な調査と試行錯誤をしていたころ、副代表のジャックと出会い、海外市場のニーズと価値観にあった和包丁ブランド「MUSASHI JAPAN」の立ち上げを決意しました。時間はかかるかもしれませんが、和包丁をはじめ、日本酒・茶道・甲冑など日本を代表する伝統工芸品を今の時代に合わせて再定義し、次の世代に引き継ぐ役割を担っていきたいと思いますし、私たちなら自信を持って果たせると考えております。これが会社を作った目的であり、存在意義でもあります。
「Act, and God will act.」(行動しなさい。そうすれば神も味方してくれるはず)です。海外の方が見たらやや宗教っぽく見えてしまうかもしれませんが、これはフランスの英雄的な少女戦士、ジャンヌ・ダルクの言葉です。起業してから、ずっと携帯の待ち受け画面にしています。行動を起こすことこそが、未来を切り開く鍵だと信じています。また、世の中の人は全て平等で、国籍、人種などの優劣はないとずっと考えています。自分はほかの人より優れた才能は持っておりません。ただ、誰よりも絶対的な量をこなし、思ったことをすぐ行動に移し、諦めずに続けているおかげでここまで辿り着きました。
伝統工芸品の経済圏を形成し、日常に取り入れることを目指しています。 伝統的な和包丁や日本酒など、職人が少なくなっている業界を支え、新しい形でそれらを繋げていきます。そのため、世界各国の視点を取り入れ、多角的なアプローチで伝統工芸を捉え直す必要があると考えております。弊社の社員が35カ国から来ており、9割以上も外国籍の組織体制になった理由の一つで、日本人より日本のことを追求していくプロ集団を目指しています。